ファブリス・イベール  Fabrice Hybert

ファブリス・イベールは前回の1997年にベニス・ビ エンナーレで発表されたフランス館をテレビ局に仕立てた作品を発表して、100年の歴史を持つこのビエンナーレにおいて最年少で金獅子賞を受賞している。この作品は大道具部屋、衣装室、編集室、収録のためのスタジオなどを小部屋に仕切り、所狭しと作品を無造作に配置したものであった。しかしこの作品の注目される点はそういったオブジェ的なインスタレーションだけではない。ファブリス・イベールは自分のフランス館に他国の作家やキュレイターを招きインタビューを行い、それをそのまま実際の放送番組として放映し,プロセスを覗き見させた点である。それはあたかもベニス・ビエンナーレの会場全体を包 み込むのようなプロジェクトになっていた。
今回の「TO THE LIVING ROOM」展は1996年の年末ファブリス・イベールのパリにあるアトリエ兼住 まいを訪ねたことから始まっている。安易に想像できるアーティストのアトリエとはかけ離れた整然とスタイリッシュな大きなリビングに肩透しを食わされたのがキッカケと言ってよいだろう。そう肩透しの展覧会それでいてもう一度自分の日常生活を再考させるような展覧会にしたかった。

ファブリス・イベールの家を訪問して印象に残ったの はベット・ルームに飾られている水彩で描かれた一連の風景画だ。この作品は1990年から91年にかけて日本の八丈島に半年間滞在した時のものである。そう彼は一年間ほど東京の上野や八丈島などに住み、今後の作家活動について考えていた。1993年にパリ市立美術館で開催された回顧展のカタログを見るとその時期が心理的移行期であることを推測することが出来る。

作家にとってドローイングは頭の中で考えたり直感を 具現化すためのはじめと一歩である。それがベースとなって大作になったり、彫刻、インスタレーションとなっていく経過を概ねたどっていく。ファブリス・イベールもその例に漏れず、この回顧展まではドローイングや彫刻的要素を含んだインスタレーションを多く発表している。programme d’enterpriseの一連のシリーズを見る限りヨーゼフ・ボイスの作品の影響が 見受けられる。この点に関してファブリス・イベール自身「僕がアーティストでいつづけることの一つの理由はヨーゼフ・ボイスがいたからだ。」と語っている。この言葉は二つの意味が示唆されている。もちろんヨーゼフ・ボイスの影響を認めるものともう一方では「物理的な作品だけを発表していく狭い意味での作家とは呼ばれたくない。アートと社会を行き来する橋渡しとなるような作品を作っている。」という意味が含まれている。更にそのことを進めていくと60年〜80年代のボイスの作品とその行動は政治、経済、自然学、医学、植物学といった異なるジャンルから出発してアートへとアプローチしていったが、ファブリス・イベールの方向はむしろその逆で社会から分離してしまったアートをもう一度社会のそれぞれの分野に戻していく、さらに両者間でキャッチボールのように行き来するという動きを持たせている相違点がある。(もちろんファブリス・イベールの作品にはゲルマン的、神智学的要素を取りのどいてフレンチのウットやユーモアと皮肉をふんだんに盛り込んではいるが。)

もう一つ日本では紹介されることが少ないがマシュマ ロマンやサンタクロースのコスチュームなどを着たパフォーマンスも行っていることもお知らせしたい。

話をもう一度91年以降に戻ってみよう。ファ ブリス・イベールはこのような従来のインスタレーション的な作品から、インタラクティヴを取り入れた作品へと移行させている。この理由として彼の経営する会社UR(unlimited Responsibilty)を通じて作品を制作し流通させていく事を始めてい る。ちょうど日本から帰ってこの会社の運営に力を注ぎ始めている。ですから日本にいた時に次に活動していく方向性を練っていたように思われる。

そしてこの新しい傾向の作品は97年のライプチヒで のMuster-Testoo展に始まりフランスのポワチエに巡回しているDietetiquet展(ダイエット的な栄養学) でこの方向性は完結した感がある。これらの展覧会では100体のマルチプル(機能付きオブジェのプロト タイブ)というよりは日用品のアイデア商品とでも言った方がよい作品を展示してあり、それらが観客のテストを経ながら改良され完成度を増していくというものである。例えば風車を帽子に付けて風の力で耳の掃除をしていくなど、一見笑ってしまうものなどが多くある。

さて今後のファブリス・イベールの活動ですが、20 00年パリの凱旋門で半年間展覧会を開催する予定です。タイトルは「E.T.との出会い」を考えていると いう。未だ思案中であるが観客が変なオブジェや人などに出会っていくようなものを計画中である。3階の「E.T.の種」はそのエスキースでもある。。これを制作中の彼は「アイデアが一杯ありすぎでまとまらな い。」と嘆いていた。そう彼の制作課程は大掛かりなプロジェクトだけでなくドローイングに至るまで、ドンドン異なるアイデアが放出しそれらをリンクさせていきながらまとめていく。その結果が何枚ものドローイングが重ねられ張り込まれていく作品となっていくのである。(その際もファブリスは必ず自分で一枚一枚関係性を図るように作品を設置していく)どちらにしてもこの凱旋門の展覧会がファブリス・イベールの次の新しい傾向となっていくのではないだろうか

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